活字書体をつかう

Blog版『活字書体の花舞台』/『活字書体の夢芝居』/『活字書体の星桟敷』

書籍本文部門 entry No.8–10

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2007年

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『DDD1』

フォントディレクション=紺野慎一

 『DDD』(Decoration Disorder Disconnection)は、奈須きのこの伝奇小説である。講談社の文芸雑誌『ファウスト』Vol.3(2004年7月発売)より不定期で連載された。その第一作が『DDD1』(那須きのこ著、講談社BOX、2007年)である。

俗にいう「悪魔憑き」を描いた小説である。題名を直訳すると「装飾 障害 切断」となる。買ってはみたものの、正直に言うと、あまりにも不気味なので、まだ読んでいない。

そんな本をなぜ買ったかというと、『DDD1』(注4)の本文が「くれたけM」で組まれているからである。

「くれたけ」は、和字書体三十六景・第1集(2002年)に収録された書体のひとつである。『活版総覧』(森川龍文堂、1933年)に組み見本として掲載された12ポイント活字をもとにして制作した。

組み合わされていた漢字書体はゴシック体であったが、復刻にあたって、本文書体の範囲を広くしたいという考えから、隷書体にも合うように字面を小さく設定した。

同様に、『少年工芸文庫第八編 活版の部』(博文館、1902年)の活字から復刻した「はなぶさ」も、組み合わされていた漢字書体は近代明朝体であったが、楷書体にも合うように字面を小さく設定した。

「はなぶさ」がイワタ楷書などの楷書体と混植されている例を見ることはあったが、「くれたけ」が隷書体と混植されているのを見ることがなかった。それだけに『DDD1』で使われていることを知って、とても嬉しい気持ちになった。

残念なことに、現状の漢字書体の隷書体は本文用として設計されたものではなかった。『DDD1』で使われている「イワタ新隷書」も、特徴とされるような形象が、本文で読んでいると少しひっかかるのだ。それが『DDD1』に向いているのかもしれないが……。

やはりゴシック体と組み合わせたいという要望があり、「くれたけ」の字面をゴシック体に合わせて大きくした「おゝくれたけ」ファミリーを制作した。「はなぶさ」も、字面を近代明朝体に合わせて大きくした「おゝはなぶさ」ファミリーを、さらに特太楷書体との組み合せを考えていた「ことのは」も、字面をゴシック体に合わせて大きくした「おゝことのは」を制作したのである。

一方で本文として使える漢字書体を増やしたいと強く思っていた。それが「はなぶさ蛍雪」、「くれたけ銘石」という日本語書体として結実したのだ。続いて「ことのは方広」の制作を計画しているところである。

 (注4)『DDD1』の続編である『DDD2』那須きのこ著、講談社BOX、2007年)も発売されている。全3巻もしくは全4巻を予定していたというが、いまだに発売されたとの情報は無い。

 

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2009年

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『ここに消えない会話がある』

ブックデザイン=祖父江慎+コズフィッシュ

 もうひとつ、「たおやめM」の使用例として『ここに消えない会話がある』(山崎ナオコーラ著、2009年、集英社)を挙げたい。『ここに消えない会話がある』(注5)は、「ここに消えない会話がある」と「ああ、懐かしの肌色クレヨン」を収録している。

山崎ナオコーラは、2004年に『人のセックスを笑うな』で第41回文藝賞受賞、第132回芥川賞候補(1回目)になった。会社員を経て26歳から作家活動を始める。小説は芥川賞候補にも数回なっている。

 雑誌『クウネル』(2014年3月号)では、川上弘美の短編小説が「たおやめM」で組まれていた。記事ごとに使用している書体を変えていて、その記事に合わせて、書体を選択しているようであった。川上弘美は、『蛇を踏む』で第115回芥川賞(1996年)を受賞している。『クウネル』では、第1号(2002年4月1日)から12年間、ずっと短編小説を連載していた。

『ここに消えない会話がある』もそうだが、女性向けの小説のために「たおやめM」が設計されたのではない。けれど、しなやかで優美な女性を連想して、この書体を「たおやめ」と名付けたということを思えば、このような小説にはうってつけなのだろう。

ついでに言えば、『クウネル』(2014年3月号)の最終ページの吉田篤弘のエッセイ「古色蒼然」が、和字書体「ますらおM」で組まれていることだ。この最終ページのエッセイ、執筆者は毎号変わっているが、ずっと「ますらおM」が使われ続けているようだ。

「ますらおM」は、「たおやめM」と対になるようにと考えて名付けた。おおらかで勇猛な男性を意味することばだが、どちらかというと好々爺のようなほんわかとしたイメージが感じられる。この「古色蒼然」というエッセイにはぴったりである。

(注5)『ここに消えない会話がある』は、文庫化に際して、『『ジューシー』ってなんですか?』(2011年、集英社文庫)に改題している。内容は同じだが、少し加筆をしているとのことだ。

 

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2016年

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『怖い浮世絵』

デザイン=亀井伸二+原純子(STORK

青幻舎ビジュアル文庫シリーズ『怖い浮世絵』(日野原健司/渡邉晃、青幻舎、2016年)は、東京の太田記念美術館で2016年夏に開催された「怖い浮世絵」展に合わせて刊行された。著者は、太田記念美術館主席学芸員・日野原健司氏と主幹学芸員・渡邉晃氏、監修が太田記念美術館となっている。

本書では、江戸の人びとが抱いたさまざまな恐怖のイメージの浮世絵を、「幽霊」(現世に恨みや思いを残し、死後さまよっている霊魂)、「化け物」(鬼や海坊主、大蛇、土蜘蛛、九尾の狐から化け猫までの異形)、「血みどろ絵」(幕末から明治にかけて流行した血が大量に描かれた残虐な浮世絵)の三本柱で紹介されている。

見開きで、右ページに作品情報と解説、左ページに浮世絵のカラー画像が掲載されている。この解説文の和字書体は「KOはやとM」である。「怖い」というイメージがあったのだろうか。

組み合わされている漢字書体は近代明朝体である。「KOはやとM」の原資料は『二人比丘尼色懺悔』(尾崎紅葉著、吉岡書籍店、1889年)で、この書物の漢字書体は活版製造所弘道軒の四号清朝活字の系統のようである。つまり近代明朝体ではない。

「KOはやとM」と同じように、「KOさおとめM」や「KOまどかM」も近代明朝体と組み合わされることの多いが、それぞれの原資料の漢字書体は近代明朝体ではなく楷書体系統の書体である。木版の字様をもとにした「KOまなぶM」や「KOさくらぎM」も楷書体なのである。

「KOさおとめM」の原資料である『尋常小學國語讀本 修正四版』巻5–巻8(西澤之助編、副島種臣・東久邇通禧閲、国光社、1901年)の漢字書体は近代明朝体ではなく楷書体である。

さらに「KOまどかM」の原資料である『富多無可思』(青山進行堂活版製造所、1909年)「自叙」の漢字書体は四号楷書体活字である。その一方で「跋」の漢字書体は四号明朝体活字になっている。四号楷書活字と四号明朝活字は、名称がことなっているだけでまったく同じものなのだ。つまり明朝活字と楷書活字と組み合わせる和字書体は共通の書体である。

原資料が楷書体系統の書体だからといってそれに囚われることはない。和字書体の字面を工夫すれば、近代明朝体をはじめ、さまざまな組み合わせが可能である。

2013年11月16日から2014年1月19日まで、さいたま市うらわ美術館で開催された企画展「アートが絵本と出会うとき」の図録も、漢字書体の近代明朝体と「KOはやとM」との混植で組まれていた。こちらは横組みであった。