活字書体をつかう

Blog版『活字書体の花舞台』/『活字書体の夢芝居』/『活字書体の星桟敷』

書籍本文部門 entry No.5–7

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2008年

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『建築』

ブックデザイン=白井敬尚形成事務所

武蔵野美術大学80周年記念出版として刊行された『建築』(板垣鷹穂著、武蔵野美術大学出版局、2008年)は443ページに及ぶ大冊である。

もともとは1937年(昭和12年)から1942年(昭和17年)にかけて岩波書店発行の『思想』に連載された板垣鷹穂のエッセイをまとめて、1942年(昭和17年)に育生社弘道閣から刊行された『建築』を、現代かなづかいにあらため、註を付し、原著にはなかった建築図版を多数掲載して復刊したものだ。ブックデザインは白井敬尚さん。

板垣鷹穂(1894–1966)は、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)創立時から講師をつとめ、早稲田大学教授、東京写真大学教授を歴任した。美術、建築、都市、写真、映画など、多岐にわたる評論は高い評価を得ているそうだ。

『建築』には、階段、柱、窓と壁、屋根、天井、……記念地域、工場地帯、観光地区、……古都、新都、廃都、……建築史家、建築史学、建築史観……など、四四編の建築についての批評がおさめられている。

本文には和字書体「KOたおやめM」が使われている。原著の『建築』(板垣鷹穂著、育生社弘道閣、1942年)で、「KOたおやめM」の原資料と同じ、もしくはよく似た書体が使われていたことからの選択だということである。

「KOたおやめM」の原資料は『日本印刷需要家年鑑』(印刷出版研究所、1936年)のなかの「組版・印刷・川口印刷所 用紙・三菱製紙上質紙」と明記されたページ(16ページ)である。

戦前に発売された書物には、この川口印刷所(現・図書印刷株式会社)9pt活字と同様の書体が使われているのをたびたび見かける。この時代を代表する書体のひとつだったのだろう。私も川口印刷所9pt活字の美しさに魅せられて復刻しておこうと思ったのである。

「KOたおやめM」のオープンタイプフォント版として最初に使われたのが『建築』である。そして現在に至るまで、この復刊された『建築』をきっかけとして、数多くの書物の本文に「KOたおやめM」が使われるようになった。

 

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2010年

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『おかあさんの思い出ごはん』

ブックデザイン=細山田光宣+横山朋香(細山田デザイン事務所)

小学生のとき、農繁期休暇があった。田植えの頃と、稲刈りの頃と、それぞれ10日ぐらいだったと思う。どこの家でも小学生だってかり出された。一家総出なのはもちろん、ちかくの親類とも共同で、ときにはアルバイトのおばさんにも来てもらっていたこともあった。
昼食は田んぼのあぜ道ですませていた。もちろん自家の田圃でできた米をかまどで炊いて作った「おにぎり」と、自家の畑で育てた大根を漬けた「たくあん」、それだけだった。小学生にとってはピクニック気分だったが、おとなは少しの時間も惜しんで、休む間もなく農作業にかかった。
ほとんど自給自足にちかい生活で、鶏も飼っていたし、豆腐も自家製だった。魚(たまに肉も)は行商の魚屋さんから買っていた。あとはオハヨー牛乳。そのような家庭環境だったから、おいしいとかおいしくないとかいうことなど考えもしなかった。ただ、お腹いっぱいになればよかった。
『おかあさんの思い出ごはん』(フジテレビ商品研究所編、亜紀書房、2010年11月19日)は、第一線で活躍している著名な料理人がつづった母親の料理についての思い出話と、そのレシピ集である。私でも知っている和食の高橋栄一、中華の陳健一、洋食の落合務料理研究家枝元なほみをはじめ30人の名前がならぶ。

この本の本文は、近代明朝体ではない。漢字のゴシック体と和字書体「KOますらお」との混植で組まれている。どのエピソードにも懐かしさと暖かさがにじみ出てくるようだった。「KOますらお」が、とてもしっくりくる。この書体名とはちがって、愛情あふれる母性を感じる書体なのかもしれない。
和字書体を少し大きめにしているだろうか。私には漢字書体よりも大きく見える。書籍というよりもムックといった感じの本だし、活字サイズも大きめなので、読ませるということとともに見せるという要素も必要なのだろう。字間がすこし詰まり気味に感じるが、行間をひろくとっているので読みにくいということはない。
わたしにとっての「おかあさんの思い出ごはん」は、あぜ道で食べた「おにぎり」だった。この本での「KOますらお」に、わたしはおにぎりを重ね合わせた。もちろん私の母の手料理もいろいろあったのだろうが、料理人の母親とはとても比べられない。いちばん印象に残っているのは、少し大きめの、塩味だけで、海苔の巻かれていない、何も入っていない「おにぎり」だった。
今ではコンビニエンス・ストアで多様な味のおにぎりが売られている。それはそれで便利なのだけれど、わたしには母親のおにぎりに勝るものはないと思う。

 

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2014年

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『アンソロジー おやつ』

装幀=坂本陽一(mots)

日本語では、「漢字書体は同じでも和字書体を変えるだけでイメージが変わる」とよくいわれる。事実、同じ漢字書体に対して複数の和字書体を用意している例がいくつもある。それは確かにそうなのだけれども、その逆に「和字書体は同じでも漢字書体を変えるとイメージが変わる」ともいえるのである。

『アンソロジー おやつ』(PARCO出版、2014年2月10日)では、200ページ以上ある本文すべてが、近代明朝体と「KOかもめM」の組み合わせである。「KOかもめ龍爪M」(漢字書体「龍爪M」と和字書体「かもめM」との組み合わせ)と見比べてみると、あきらかにイメージが違っていると思う。前者は攻撃的に見えるが、後者は友好的である。和字書体は「かもめ」で同じ書体なのに、漢字書体の影響が如実に現れているということだろう。

書体の印象は、漢字書体の違いだけでなく、組まれた文章の内容にも影響を受けるようだ。「かもめ」は「かもめ」だが、文章の性格はまったく異なる。まさか、おやつの本に「かもめM」が使われるとは思っても見なかったが、それはそれで合っているように感じてくるから不思議だ。

『アンソロジー おやつ』は、42名の著名人によって綴られた「おやつ」に関する随筆集である。そこには、村上春樹の「ドーナッツ」、武田百合子の「キャラメル」、内館牧子の「チョコレート」などなど、ちょっと見ただけでおいしそうなタイトルが並んでいる。わたしの、この本での「かもめM」のイメージに重なるおやつはなんだろうかと考えてみた。そういえば友達の家が駄菓子屋をやっていたなあなどと思い出していた。ふとポンポン菓子のことを思い出していた。そうだ、これだ!
ときどき、ちかくの広場にポンポン菓子をつくる機械をリヤカーに積んで行商のおじさんが巡回してきていた。こどもたちは自宅から米を持参して集まり、目の前でポンポン菓子に加工してもらうのである。できあがるときに、大きな破裂音がする。同時に膨張してできたポンポン菓子が、取り付けられた籠のなかに飛び出してくるのだ。それが楽しみだった。