活字書体をつかう

Blog版『活字書体の花舞台』/『活字書体の夢芝居』/『活字書体の星桟敷』

[文字の青春]1 謄写版から始まった

●高校生のとき、謄写版印刷機を購入!

小遣いをはたいて簡易卓上印刷器である謄写版印刷機を購入した。これを個人で持っているひとはいなかった。ヤスリの上に原紙をおいて、鉄筆で文字を書くことからはじまる。鉄筆は謄写版印刷機用の文字を製版するための道具である。現在ならばパーソナル・コンピューターという便利な機械があるが、もちろん当時はなかった。コピー機はあるにはあったが、いまほど品質のよいものではなかった。謄写版がまだまだ主流だった。学校や役所の文章は、これで印刷されていた。

ミニコミ誌『自画像』

高校二年の時にミニコミ誌に興味を持ち、ミニコミ誌グループを結成した。はじめ、ある雑誌を通じて全国から会員を募り、同人雑誌みたいなものを編集して送付することにした。この同人雑誌を発行するため、文部省認定社会通信教育だった「近代孔版技術講座」を受講した。謄写版は孔版の一種で、俗にガリ版ともいう。

孔版文字の基本三書体は、楷書体、ゴシック体、宋朝体である。楷書体は斜目ヤスリ、ゴシック体は方眼ヤスリ、宋朝体宋朝ヤスリを使用する。私の購入したヤスリは、斜目ヤスリと方眼ヤスリとが、裏表になっているものであった。宋朝ヤスリは、特殊なもので、一般では使われないようである。ぼくはもっぱら方眼ヤスリを用いたゴシック体で書いていた。ゴシック体といっても、手書きには変わりないわけだから、活字のように鮮明なものではない。それでも、活字のまねをしたくて、この孔版文字を勉強したのである。
ぼくは大学に入って福岡県に住むようになった。同人雑誌は『自画像』と名を改めた。『自画像』第1号(1973年6月発行)は、18ページという薄っぺらなものだった。ミニコミ誌がブームになり、そういったものに影響を受けて、『自画像』第2号(1973年9月発行)からは、自主出版物らしくした。

●旭東印刷

『自画像』第3号(1973年12月発行)からはタイプ孔版でやるようになった。その印刷も高校の前にある旭東印刷というところに頼むようになった。タイプ孔版というのは、謄写版謄写版なのだが、手書きの変わりに和文タイプライターを使って打ち込むのである。本当は、タイプオフセット印刷ぐらいはしたかったが、安価な方法を選択した。
この頃からミニコミ誌専門の書店で、自分たちのミニコミ誌『自画像』を販売してもらった。これは全く売れず失敗に終わったが、自費出版の最初の経験になった。そうして、活字への憧れは大きく膨らんでいったのである。
謄写版も、和文タイプライターも、今や死語になってしまった。しかしながら、ぼくにとってはこの経験が、手書きと活字を結び付けてくれたのだった。