活字書体をつかう

Blog版『活字書体の花舞台』/『活字書体の夢芝居』/『活字書体の星桟敷』

Note 2 邦文タイプライターのこと――タイプ孔版とタイプ・オフセット

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1970年代、高校の部活のひとつに「タイプ部」があった。文化祭では、詩を組んで展示していた。英文、和文タイプライターの体験もあり、時間内に決められた文字数を打つ競技会(イベント)も行われていた。

 

タイプ孔版

謄写版印刷のうち、鉄筆法(ガリ版)のほかに、邦文タイプライターを使ったタイプライター法(タイプ孔版)があった。

『実用邦文タイプライター教科書』(邦文タイプライター能率研究社編纂、龍成社出版部、1936年)には次のように書かれている。(旧字体新字体に変更した)

邦文タイプライターにて謄写版応用の方法は、原紙(ステンシルペーパー)に所要の文字を印書(打ち抜く)して、謄写版、輪転器にて所要の用紙に転写すれば数百枚以上、千枚までの同文書が出来る。

従来原紙は蝋原紙を使用せるも、邦文タイプライター用としてはミリヤタイプ原紙、ドライタイプ原紙を耐久其他の関係上理想とする。

謄写版は原紙に直接ルーラーが当らない様に、絹枠の取付けある装置のものが良い。

使用法はミリヤタイプ原紙をブラテンに捲き付け、印書を少しく強めにして完全に原紙が所要文字を打ち抜かれたならば、それを謄写版に取付け、必要な枚数だけ所要用紙に転写を繰返せば良い。

 金属活字のような凸版印刷や、タイプライターの印字物や写植の印字物を版下にしたオフセット印刷に比べれば、印刷物としての品質は高くなかったが、ガリ版とはレベルが違うものだった。高校時代の筆者にとっては、もっとも身近で安価なタイポグラフィだった。

高校の『文化祭パンフレット』(1972年)は、A5判、26ページの、タイプ孔版で印刷したものだ。高校の前にあった印刷屋さんにお願いして作ってもらった。表紙だけはオフセット印刷にした。このパンフレットは想定外のページ数になったので、地元の商店をまわって、寄付金を集めたものだった。

『自画像』(1973年)は、B6判、40ページの冊子であるが、これもタイプ孔版による印刷である。『文化祭パンフレット』と同じく高校前の印刷屋さんにお願いした。

 

タイプ・オフセット

高校時代、謄写版からタイプ孔版へ、そしてタイプ・オフセットで印刷することをめざしていた。高校の『文化祭パンフレット』(1972年)の本文はタイプ・オフセットで作りたかったのだが、予算の関係であきらめて、タイプ孔版になった。

タイプ・オフセットについて、『実用邦文タイプライター教科書』には次のように書かれている。(旧字体新字体に変更した)

数千枚の同一文書作成のために謄写版等の外にオフセット印刷、石版刷応用の方法がある。

タイプライターにてコロンペーパーに黒色カーボン紙を以って印書したるものを原写として、石版に転写、石版より所要用紙に転写の方法を繰返せば、数千通の同一文書が作成できる。(尤もコロンペーパーの文字を石版に転写の方法は素人が簡単に出来得ない嫌いがある故に、若し研究さるゝなれば本教科書発行所に御要求次第詳細御説明する)

  

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 高校時代にタイプ・オフセットで印刷したものは、グループ活動の最初の「手帖」(上の写真)だけだった。