鎌倉幕府跡(前)
何回か鎌倉を訪れたことがあるが、だいたい鶴岡八幡宮と建長寺がメインだった。鎌倉というと鶴岡八幡宮と建長寺がまず思い浮かぶ。でも、鎌倉幕府、古都鎌倉というぐらいですから、宮殿や城にあたる場所はないのだろうか。
ひとつは鶴岡八幡宮の東側に位置する「大蔵幕府跡」、もうひとつはは鶴岡八幡宮の南側に位置する「宇都宮辻子幕府跡・若宮大路幕府跡」があったみたいだ。いずれも現在では石碑がたてられているだけである。
●大蔵幕府跡(鎌倉駅徒歩15分)1180年‐1225年
治承4年(1180年)に、平氏との合戦の後、鎌倉に戻った源頼朝が、鶴岡八幡宮の東側にある大蔵の地に建てた館である。東西約270m、南北約220mの敷地だったと推定されている。
この敷地内には、寝殿・対屋・大御所・小御所・常御所・御所対面所・釣殿侍所・問注所などが造営され、屋敷の東西南北には門が設けられていたようである。これらの建物は3度の火災で焼失しましたが、そのたびに再建されている。
頼朝が政権を得てから政治がここでおこなわれ、それ以降の頼家、実朝とつづいた。北条政子が亡くなった嘉禄元年(1225年)に幕府は宇都宮辻子に移ったが、初期の武家政治の中枢機能を果たしたことになる。
現在、清泉小学校の側に「大蔵幕府跡」の石碑が立っているそうである。
きょうは雷雨はないようだ。